誰しもが一度は考えたことがある「問い」かもしれませんね。
「学校の勉強なんて将来使うのか」
「頑張って覚えてもすぐ忘れてしまうよ」
「小学校くらいまでの読み・書き・計算は必要かもしれないけど、それ以降は生活の役に立たないんじゃないの?」
このようなことは、高校生のみならず小・中学生でも1度は考えたことがあるはずです。
Q なぜ学校で勉強をしなければならないのか?
Q なぜ人は学ばなければならないのか?
その問いの結論としては、
「なぜ学ぶのか」に答えはない
ということです。
なぜなら、人によって学ぶ理由は異なるからです。
あえて言うならば、各個人が納得できる答えを持つことができるかどうかです。
ですから、みなさん自身が納得できる理由を探していく必要があるのです。
今回は「なぜ学ぶのか」の答えを知ることではなく、その根本の考え方である「なぜ学ぶのかを考えること」の大切さについて紹介します。
この記事を通して、目の前の学びを価値づけ、より有意義な学びを実現してみてください。
高校教員として、数学を10年以上教えています。
内容をただ教え込むのではなく、「数学の学び方を教える」をモットーに授業を実施しています。
生徒が主体的かつ協働的に学ぶ授業スタイルを目指し、全員が数学に前向きに取り組むことが目標。
目次
「なぜ学ぶのか」に正解はない
改めて結論を言ってしまうと、「なぜ学ぶのか」という問いに正解はありません。
それでは、話が終わりになっちゃいますよ…。
大丈夫です!これから説明をしていきますね。
一般化のワナにハマらないこと
「なぜ勉強をしなければならないのか」
教員を続けていると何度も出会う「問い」です。
僕自身も教員になるにあたって、
生徒に学ぶ意味を考えてもらいたい。
なぜ高校数学を学ぶ必要があるのかを伝えたい。
そのような思いを持ってきました。
今でも授業開きのときや担任として、学ぶ意味を伝えています。
でもそれは僕自身が考える学ぶ意味であり、公教育として国が定めるものであって、みなさんにとっては学ぶ意義になっているとは限らないのです。
数学の授業で、
- 粘り強さや思考力を鍛える
- 実際に身の回りの生活に役立っている
- 人々の暮らしの発展のために必要なる
などなど、いくら並べたところで納得する人もいれば、そうでない人もいるのです。
哲学者・教育学者である苫野一徳氏は、これを「一般化のワナ」と呼んでいます。
一般化とは、自分の経験を誰しもが当てはまるものだとして定義づけてしまうことです。
例えば、
学生時代にたくさん勉強をして大学進学を果たし、安定した職業に就いた。
逆に大学に進学しておけばよかったと後悔している。
そのような経験を持つ人は、「大学に進学した方がよい。そのために勉強しなさい」と一般化して伝えてしまうわけです。
しかし、これはその人自身が経験の中で感じたことであって、他の人には関係のない話かもしれません。
大学に進学したからといって将来が安泰なわけでもないですし、大学に行かずとも社会貢献を果たしている人はたくさんいます。
つまり大学進学を希望しない人にとって、「大学進学に役立つから学びなさい」は全く無意味なものなのです。
正解ではなく、納得解を求めること
教員や親をはじめ、多くの大人は学ぶ意味を一般化してしまいがちです。
かくいう僕自身も授業で数学を学ぶ意味を語っています…。
ここで大切なのは、ある人の「学ぶ意味」が自分にとって納得できるものか、ということです。
「なぜ学ぶのか」に唯一無二の正解はありません。
それが自分にとって納得できれば採用すればよいのです。
つまり「なぜ学ぶのか」の納得解は、一人ひとりが個人の経験の中で見つけ出していかなければならないものなのです。
ですから、一人の教員が伝える「学ぶ意味」は、そのちょっとしたヒント程度に考えるのがよいでしょう。
一人ひとり学ぶ意味が異なるから、「なぜ学ぶのか」に答えはないのですね。
自分で「学ぶ意味」を考え続けることが大事
でも学ぶ意味はどうやって見つけていけばよいのでしょうか。
まずは、身近なところからで始めてみましょう!
まずは自分本位の理由でよい
「自分で気づいた学ぶ理由」や「目標にしたいこと」。
これらは、学びに向かう原動力になります。
この力を生み出すための最初の一歩は、学ぶ理由を自分本位でも構わないので見つけることです。
「世界を変えたい」とか「多くの人を救いたい」とか、もちろん素晴らしいことです。
でも、いきなりは難しい。
だから、まずは身近なところから考えてみることが大切です。
「看護師になりたいから看護学部に進学したい」
「しっかり自分で稼げるようになりたい」
「人によく見られたい」
など、それが自分にとって納得できる「学ぶ意味」になるならば、すべてが正解です。
学校の勉強は、どうしても与えられることが多いです。
なぜその学習をするのか、その意味をじっくり考えることで学びの質は大きく変わります。
まずは一度、自分の中での学ぶ意味を考えてみます!
学びのスパイラルに入れるか
自分の中で見出した「学ぶ意味」をもとに、実際に目の前の学びに向かうことで、新しい学びが次々と訪れます。
そして新しい学びに出会ったら、なぜ自分はその学びを行うのか。
その意味をまた自分で考えるのです。
そうすると学びのスパラルに入り、自分の世界が広がり始めます。
このスパイラルに入ってしまえば、関心の幅が広がり学習意欲がどんどん湧いてきます。
そして、これらは学校の学びだけで完結しないことに気がつくと思います。
自分がよりよく生きるために、何を学ぶのか。
学校での学びが、それらを支える学びであるのか。
これらは進めてみないと分かりません。
だからこそ、まずは目の前の学習について「学ぶ意味」を考えてみる時間が大切なのです。
自分自身で見つけることが難しい人のために
学ぶ意味を自分で考えるって、何か難しそう…。
納得解のヒントは人からもらってもよいのです。
自分で学ぶ意味を考えることが大事と言われても、「最初の一歩が難しい」「思い浮かばない」という人もいるでしょう。
そのようなときは、先人の知恵を借りればよいのです。
世の中には、「なぜ学ぶのか」をテーマにした書籍はたくさんあります。
一般書からも、その人の生き方からヒントを得られます。
また身近な大人や友人も、学ぶ理由を伝えてくれるでしょう。
そのとき忘れてはいけないことが、繰り返し書いている
「自分が納得できるかどうか」
です。
先人のヒントから、自分が納得できるものを学ぶ理由として採用するのです。
そして学習に取り組んでみるのです。
そうすれば、学びのスパイラルを動かし始めることができるはずです。
このサイトでも「学ぶ意味」の一例を紹介していきますのでチェックしてみてください!
まとめ:納得解を探し出し、学びのスパイラルを実現させよう!
今回の記事では「なぜ学ぶのか」を自分自身で見つけることの大切さについて紹介しました。
誰しも一度は考えたことのある「なぜ学ぶのか」という問い。
周りは何かと理由をつけて勉強をさせようとします。
でもそれらの理由は、その人が生きてきた人生の中での一つの答えにすぎません。
「なぜ学ぶのか」の答えは、人の数だけ存在します。
だからこそ、自分自身が納得できる答えを探していくことが大切なのです。
ただし、もちろん誰か傷つけたり貶めたりするような理由ではいけません。
そのようなものを除けば、一人ひとりが経験の中で見つける「学ぶ理由」すべてが正解なのです。
また、いま目の前の学びに意味を感じられない人は、自分が学校で学ぶ意味を考える時間をとってみましょう。
学ぶ意味は自分本位なもので構いません。
その動機づけが学びを促進してくれるなら、それでよいのです。
学び始めてみると、新たな学ぶ理由に出会い、どんどん世界が広がっていきます。
このスパイラルに入れば、改めて学ぶ理由を考える必要もないですし、自分のことだけでなく他者のために学ぶことができる状態に近づくことができるはずです。
「初めから自分で考えるのはちょっと難しい。」
そのような人は、先人の知恵を借りるのも一つの手です。
僕自身もサイトを通じて、学びに向かうためのヒントを発信していきたいと思っています。
そこから自分が納得できる理由を見つけてみる。
これを大切にしてください。
今回の記事が、これから学びを深めていく中学生・高校生のちょっとした参考になれば嬉しいです。
ぜひ学ぶ意味を考え、学校や自身で取り組んでいる活動において学びを深めることで、よりよい自分を見つけてください。
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「なぜ勉強をしないといけないの?」ってたまに考えてしまうことがあります。